古典文法・助動詞
⑤す、さす、しむ
使役
妻の嫗に預けて養はす。《竹取》
(竹取の翁は、かぐや姫を)妻のおばあさんに預けて育てさせる。
聊か嘗め給ひて、少し形見とて脱ぎ置く衣に包まむとすれば、在る天人包ませず。《竹取》
(かぐや姫は不死の薬を)ちょっとなめなさって、少し(地球に置いていく)形見にと思って脱ぎ置く衣服に包もうとすると、そこにいる天人が包ませない。
「す」が単独で用いられて使役。
女どもに詠ますれど、「まろは、まして物も覚えず。」とて居たれば《源氏・玉蔓》
(男が和歌を詠んだので)娘たちに(返事の)和歌を作らせるけれども、(娘たちは)「私もどう返していいか分からない。」と言ってじっといるので
「す」が単独で用いられて使役。
此の子いと大きに成りぬれば、名を三室戸斎部のあきたを呼びて付けさす。《竹取》
この子がたいそう大きくなったので、名前を、三室戸斎部の秋田を呼んで付けさせる。
「す」が単独で用いられて使役。
人を遣りつつ求めさすれどさらに無し。《大和物語》
人を派遣しては探させるが、全く見つからない。
「さす」が単独で用いられて使役。
「我に暫時の暇を得させよ。我が最愛の后の琴の音を今一度聞かん。」と《平家》
始皇帝が「私にしばらくの時間を得させよ(与えよ)。我が最愛の后の琴の音色をもう一度だけ聞きたい。」と
「さす」が単独で用いられて使役。
大方生ける物を殺し傷め、闘はしめて遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり。《徒然》
いたい生きている物を殺し傷つけ、(或いは互いに) 闘わせて、それで遊び楽しむような人は、互いに噛み合い傷つけ合う動物と同類である。
「しむ」が単独で用いられて使役。
生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀紂が心なり。《徒然》
生き物を苦しめることで自分の目を喜ばせるのは、中国の古代の暴君である桀王、紂王と同じ心の持ち主である。
「しむ」が単独で用いられて使役。
身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。《徒然》
身体を傷つけるよりも、心を痛ませる(苦しめる)のは、人に害を与える程度が甚だしい。
「しむ」が単独で用いられて使役。
御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。《徒然》
清少納言が簾を高く上げたところ、中宮定子はお笑いになる。
「せ給ふ」の形で尊敬になる例。
「朕をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせ給ひけれ。《大鏡》
(花山天皇は)「道兼は私をだまして出家させたのであったよ。」といってお泣きになった。
「せ給ふ」の形で尊敬。
君は彼の松原へ入らせ給へ。兼平は此の敵 防ぎ候はん。」《平家》
「殿はあの松原へお入り下され。わたくし兼平はこの敵を防ぎましょう。」
「せ給ふ」の形で尊敬。
この帝、天徳三年己未三月二日、生れさせ給ふ。《大鏡》
この天皇は、天徳三年己未三月二日に、お生まれになった。
「させ給ふ」の形で尊敬になる例。
此の姫君と上の御方の姫君と、貝合せさせ給はむとて、月頃いみじく集めさせ給ふに、《堤中納言》
こちらの姫君と、北の方の姫君とで、貝合わせをなさろうということで、ここ数ヶ月熱心に貝をお集めになるのだが、
「させ給ふ」の形で尊敬。
この大臣の作らしめ給へりける詩を帝かしこく感じ給ひて、《大鏡》
この 大臣菅原道真がお作りになった漢詩に醍醐天皇はひどく感動なさって
「しめ給ふ」の形で尊敬になる例。
奏する事を聞こし召し合はせて、世の政は行はしめ給ひけれ。《大鏡》
昔の帝は、老賢者たちが申し上げた事を参考になさってから、世の政治を行いなさった。
「しめ給ふ」の形で尊敬。
荒人神におはしますめれば、公も行幸せしめ給ふ。《大鏡》
(菅原道真は)霊験あらたかな神でいらっしゃるようなので、帝も(参拝のために)お出かけになる。
「しめ給ふ」の形で尊敬。
「勝たせじと思しけるらん。」と、上も笑はせおはします。《枕》
「あなたに勝たせまいとお思いになったのだろう。」と言って、帝もお笑いになる。
「せおはします」の形で尊敬になる例。
「暫し。」とて、取りに入らせおはしまししかし。《大鏡》
帝は「ちょっと待て。」と言って、(建物の中へ)思い出の品を取りにお入りになった。
「せおはします」の形で尊敬。
「常に参るや。」と問はせおはしまして、「参り侍り。」と申し候ひつれば、《和泉式部日記》
宮が「いつも向こうに参上しているのか。」とお尋ねになって、私が「参上しております。」と申し上げましたところ
「せおはします」の形で尊敬。
(帝が)南殿に出でさせおはしまして回させ給ふに、《大鏡》
帝が紫宸殿に出なさって、こまを回しなさると
「させおはします」の形で尊敬になる例。
「只今、此れより過ぎさせおはしますめり。」と答へけるとかや。《大鏡》
「たったいま、この家の前を帝が通り過ぎなさったようだ。」と答えたとかいうことだ。
「させおはします」の形で尊敬。
上も聞こし召して興ぜさせおはしましつ。」と語る。《枕》
帝もこのことをお聞きになって、おもしろがりなさった。」と語る。
例の、声出ださせて随身に歌はせ給ふ。《堤中納言》
(屋敷内の女の気を引くため、門の外で)いつものように、声を大きく出させて従者に歌を歌わせなさる。
「随身に」に続いて「す」が用いられ「誰々に…させる」と使役になる例。
此れを徒に奉らば漫ろなるべしとて、人々に歌詠ませ給ふ。《伊勢》
この石をこのまま差し上げるのもつまらないだろうと言って、(親王は)人々に和歌を作らせなさる。〈伊勢〉
「人々に」に続いて「す」が用いられ「誰々に…させる」と使役になる例。
講の終る程に、歌詠む人々を召し集めて、今日の御業を題にて、春の心ばへ有る歌奉らせ給ふ。《伊勢》
法要に際しての仏法講話が終わる頃に、藤原常行が歌人たちを呼び集めなさって、今日の御法要を歌題として、春の情趣がある和歌を献上させなさる。
「召し集めて」に続いて「す」が用いられ「誰それを呼び集めて…させる」と使役になる。
惟光召して、御帳、御屏風など辺り辺りしたてさせ給ふ。《源氏・若紫》
(光源氏は)従者の惟光をお呼びになって、帳や屏風などを、あちらこちらに整えさせなさる。
「召して」に続いて「さす」が用いられ「誰々を呼んで…させる」と使役になる例。
此の国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせ給ふ。《源氏・須磨》
この国に行き来していた陰陽師を呼び寄せなさり、お祓いをさせなさる。
「召して」に続いて「さす」が用いられ「誰々を呼んで…させる」と使役になる例。
古の世々の帝、春の花の朝、秋の月の夜毎に、候ふ人々を召して、事につけつつ歌を奉らしめ給ふ。《古今・仮名序》
古代の代々の帝は、春の花が咲く朝、秋の月が美しい夜には、仕える人々をお召しになって、折々の景色や物事にあわせて和歌を献上させなさった。
「召して」に続いて「しむ」が用いられ「誰々を呼んで…させる」と使役になる例。
畠山、家の子郎等 多く討たせ、力 及ばで引き退く。《平家》
畠山は、一族や家来を多く討たれ、力及ばず退却した。
出典が平家物語=軍記物であり、軍記物の「す」が受身になる例。
平山は郎等を討たせて、敵の中へ割つて入り、やがて其の敵討つてぞ出でたりける。《平家》
平山は家来を討たれて、敵の中へ割って入り、すぐにその敵を討って出てきた。
出典が平家物語=軍記物であり、軍記物の「す」が受身になる例。
弟の次郎 涙をはらはらと流いて、「唯兄弟二人あるものが、兄を討たせて弟が一人残り留まりたらば、幾程の栄華をか保つべき。ただ一所で如何にも成らん。」とて、《平家》
弟の次郎が涙をはらはらと流して、「ただ二人の兄弟であるのに、兄を討たれて弟の私が一人生き残ったとして、どれ程の栄華を保てようか、いや保つことは出来ない。とにかくこの同じ場所で討ち死にしよう。」と言って
出典が平家物語=軍記物であり、軍記物の「す」が受身になる例。
梶原 涙をはらはらと流いて、「戦の先を懸けんと思ふも子供が為、源太討たせて、景時残り留まつても何にかはせん。返せや。」とて、又取つて返す。《平家》
梶原景時が涙をはらはらと流して、「戦の先陣を務めようと思うのもわが子たちのため、源太(景時の嫡男)を討たれて、この景時が生き長らえても何になろうか。引き返せ。」とて再び敵の中へ引き返す。
出典が平家物語=軍記物であり、軍記物の「す」が受身になる例。
向かへの岸より山田次郎が放つ矢に、畠山馬の額を篦深に射させて、弱れば、《平家》
向こう岸から、山田次郎が放った矢に、畠山は馬の額を深く射られて、馬が弱ったので
出典が平家物語=軍記物であり、軍記物の「さす」が受身になる例。
熊谷は馬の腹を射させて、頻りに跳ねければ、弓杖突いて下り立つたり。《平家》
熊谷は馬の腹を射られて、馬がしきりに跳ねるので、弓でつえを突いて地に降り立った。
出典が平家物語=軍記物であり、軍記物の「さす」が受身になる例。
富樫の太郎は越中前司盛俊が放つ矢に首の骨射させて、河中に真逆に落ちにけり。《平家》
富樫太郎は越中前司である平盛俊が放つ矢に射られて、川の中に真っさかさまに落ちた。
出典が平家物語=軍記物であり、軍記物の「さす」が受身になる例。
「す」が単独で用いられて使役になる例。